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のぞみ☆世界の平和を願うバラ [Flower & Garden 花と庭]

のぞみが咲きました
7年程前、友人からいただいたバラ。
大きめの鉢植えにして、地面に置いてあります。

一昨年、この花の由来を、某バラ会の会員さんから教えていただきました。
“のぞみ”の作出者である埼玉県出身の小野寺透氏の《バラになった少女》のお話です。

この話を知ってからは、のぞみちゃんと、声をかけています。
今にして思えば友人もこのエピソードをご存知だったのでは・・・
『これは、のぞみちゃんよ』と言って可愛い苗を下さいました。

nozomi 1.JPG

いただいたばかりはもう少し色が薄かったように思うのですが、
年々濃くなってきた気がします。
このバラは葉に特徴があるとか。


こちらはモーツァルト♪
mo.JPG

名前につられて、この家に引っ越してきて一番に植えた薔薇です。
昨年、鉄砲虫の被害に会い、ひと株だけ生き残りました。


安曇野
image-20120605165738.png

鉄製アーチの両側から、色違いで這わそうと思って植えたのですが、
ラベルの写真を見ただけで購入したので、咲いて見たら色も形もほとんど同じ ! (´・_・`)

この安曇野も昨年、モーツァルトと同じ目に会いました。
毎年アーチを覆って綺麗に咲いていたのですが。

昨年はダメもとで、大幅に枝の更新をして刈り込んでみました。
来年は、なんとか以前の勢いを取り戻してくれると良いのですが。

それにしてもこの3つのバラは三つ子みたいですヾ(@⌒ー⌒@)ノ
もしかしたら、祖先は同じなのかもしれませんね。


image-20120605223941.png



のぞみちゃんの心に残るお話を!

《バラになった少女》 小野寺透
  私と仲の良かった妹が、牧師と結婚して教会の事業にたずさわること半年で、その牧師は知る人ぞ知る南方の激戦地ガダルカナルへ出征した。その時生まれてくる子供に”のぞみ”と名づけて行った。  彼は周囲の兵隊たちと同じく殆ど死んだと同様に倒れていた。その時耳元でアメリカ兵がガヤガヤ話していた。やがて彼は、そのアメリカ兵達の話にアメリカ英語で返事をしてしまった。それは彼が牧師に必要な神学の勉強に、数年間アメリカ留学していたからであった。  彼の返事を聞いて驚いたのはアメリカ兵であったが、それが縁で彼は通訳の仕事を受け持ち、結局無事帰国することになった。出征時に名付けた”のぞみ”は女の子であって、父親の実家があった満州に渡った。渡った当時(昭和18年頃)の満州は平和であったが、終戦後、例のソ連軍の侵入で、女ばかりの一家の生活は苦しくなり、先ず祖母が亡くなり、次いで母も亡くなり次々に家族が死亡し、”のぞみ”は一人ぼっちになって、近隣の教会関係の人々に助けられ暮らしていた。  やがて帰国の順番が来て、三歳の”のぞみ”は一人で帰国列車に乗り、はるばる長い汽車の旅を続けて、日本に着き、やっと明日は東京に着く予定が列車の編成の都合で一日延びた。この延びた一日が幼い女の子に限りない悲劇となったのである。それは、この延びた日の東京品川に着く二時間前に、長旅の疲れか”のぞみ”は列車の中で息を引きとってしまったのである。  一方父親は品川駅に、生まれてはじめてのわが子を迎えに行って、未だ温もりの残っている我が子”のぞみ”を抱いたのである。この様にして父親は”のぞみ”の持ってきた二つの遺骨箱と一緒に浦和の家に帰ってきて、狭い我が家は一度に三つの葬式をすることになった。  話をバラに移して、私は1968年(昭和43年)頃から実生花を作り始め、最初の作出花に私は忘れ得ぬ、”のぞみ”という名前をつけた。バラの”のぞみ”は浦和では六月の第二週頃に一週間くらい桜草のような花で盛大に咲くが、ヨーロッパの気候では六月から十一月まで咲き続けるので、世界中のバラ花壇に植えられて有名になり、バラを記事にした世界中の本にも載っているし、有名なプロフェショナルのバラ作りの集会に、アマチュアの私が唯一人招かれたりしている。 ”のぞみ”が埼玉の浦和生まれであることを思うと、無常の感慨に打たれるのである。                                (埼玉ばら会より)

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りょー

米原万里?…? 懸命に記憶を辿りましたがダメ(・・?)
電車の通勤時間が長いので、何十年も本は読み続けてきたのですが…。
ネットで調べたら、「少女時代の踊りの教師の過去を辿るため、ソビエトに行く…」というもの。
それも、何と1992年!! 記憶が戻ってきました。その年はちょうど私がソビエトに行った年。ソビエトとの友好を目的に、横浜港から「青年の船」で。
懐かしいー!! 今、思い出しても当時の日本では考えられないことばかりでした。
「琥珀が、ザルに入れられ驚くほど安いのに、プラスチックのボタンがガラスケースの中で高価に売られていたり…」話せばキリがありません。
そのときの写真が沢山残っているはずだから探してみよー。明日は楽しみです。
それにしても不思議ですよね。
プリシラさんのブログは、私が忘れていた過去を思い出させてくれます。
ありがとう。ヾ(@⌒ー⌒@)ノ

「今回はコスモス」 えぇぇー!? そんな季節では?
本当に秋桜のようですね。(^-^)




by りょー (2012-06-06 00:56) 

プリシラ

りょー様
「青年の船」・・1992年というと今から20年前でしょうか。
琥珀はあちらの方では本当にふんだんにあるようですね。
だから「琥珀の間」も可能だった?
by プリシラ (2012-06-11 19:27) 

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